2006-05-23 第164回国会 参議院 外交防衛委員会 第19号
御承知のとおり、旧調達本部時代の背任事件を契機にして、不正を防止するべく、原価計算部と契約本部に分離したのであります。そのような経緯があったにもかかわらず、調達本部を復活させることは元のもくあみになりかねません。 また、防衛施設庁の企画及び立案の業務を防衛庁内局の所掌とする法改正は、防衛施設庁談合事件を逆手に取って施設庁を解体させ、防衛庁を肥大化させることになります。
御承知のとおり、旧調達本部時代の背任事件を契機にして、不正を防止するべく、原価計算部と契約本部に分離したのであります。そのような経緯があったにもかかわらず、調達本部を復活させることは元のもくあみになりかねません。 また、防衛施設庁の企画及び立案の業務を防衛庁内局の所掌とする法改正は、防衛施設庁談合事件を逆手に取って施設庁を解体させ、防衛庁を肥大化させることになります。
また、ADRにつきましても、司法制度改革推進本部時代に策定されておりましたアクションプランのフォローアップを行って、連携強化、関係機関の連携強化を図っているところであります。 また、法令外国語訳推進のための基盤整備につきましては、本年九月三十日に関係省庁連絡会議において、実施推進検討会議が取りまとめました翻訳のための基本原則や翻訳推進の在り方などについての中間報告が了承されたところでございます。
かつての経済安定本部時代の計画的なビジョンというものはなかなかつくりにくいと思いますけれども、なおそういう視点で来年どうなるのか、再来年どうなるのか、あるいは当面下半期はどうなるのか、うそでもとは言いませんけれども、かなりのものをこれから出していただかないと、これくらい冷え込んでしまったら、そしてまた近隣がかなり倒産しているという現実、統計上上がってくるものもございますし、上がってこないものもございまして
この制度は、かつては企画庁の前身でございます経済安定本部時代に、戦後の経済難局に処しまして官民の衆知を結集して当たろうということでございましたので、かなり民間からも出向されておったわけでございます。その後だんだん現在のような仕組みに変わってきつつありましたのを、先ほど申し上げましたように、国会の御指摘もありまして、四十九年以来ただいまのような運営に変えたわけでございます。
○佐々木国務大臣 田中さんも御承知のように、私、戦後経済安定本部時代、配炭課長、石炭生産課長、合わせまして三年か四年くらいやっておりますので、この問題にかかわり合いの深い一人かと存じております。
それで、やはり当時の安定本部時代にこういう制度、——はっきりとこれは経済安定本部令で明文化して、非常勤の部員を置くというふうな形で発足したわけでございます。
○国務大臣(小坂善太郎君) 先ほどの話の中で、うちの秘書課長の談話でございまするが、経済安定本部時代と現在とは、その内容と性格において相違があったことについての認識が足りなかったために誤解を与えたことでありまして、率直におわびをいたします。
○政府委員(高橋英明君) 長いこと続いておる制度でございまして、そうして、かつて安定本部時代には非常勤の国家公務員制度であるというふうに認定されておりまして、それからずっと続いてきておる制度でございますので、いままでそういうものとして了解しておりました。
あの安定本部時代は、日本が戦災から立ち直る時代ですから、これはあるいは必要だったかもしれない。しかし、その後の経過を見ますと、まさにこの高度成長経済、これがこの有効な機能の活用によってどんどんと伸びてきた、こういう結果が出ているんですよ。だからそういう点で、まさにあなたのおっしゃるとおり、有効に機能したと思うのです。
○高橋(英)政府委員 企画庁の部員は、先ほど申し上げましたように安定本部時代から続いておる制度でございますが、安定本部時代にははっきり非常勤公務員ということで扱われておりました。現在でもそういう線であろうということで、私どもは非常勤職員という扱いをいたしております。
現在、公社、金融機関等から九十余名受け入れておりますが、経済企画庁といたしましては、経済安定本部時代からこの制度を運営をしておりまして、特に問題を生じたことがないように思っておるわけでございます。 ちなみに申し上げますと、いま部員といって民間の方が来ておられるのは、平均年齢で二十八歳でございまして、大体二年いて帰っていく。
特にLSC型ロケットの打ち上げは、事業団の前身である宇宙開発推進本部時代、一号機、二号機がいずれも完全な成功をおさめるに至らなかっただけに、その成否が注目されておりました。 このロケットは、実用衛星打ち上げ用のQ型四段ロケットの第三段目に使用する液体ロケットのために研究開発を行なっているものであります。
そこで私は藤山さん以外にできないんじゃないかと思いますが、ところが、藤山さん御自身に力がありましても、いまの経企庁自身のあり方というものは、どうであるかといえば、物価政策を総合的に立案されるのが経企庁でありましたけれども、ちょうど終戦後、占領軍を背景に強大な統制権を持っていた経済安定本部時代とは打って変わって、いまの経済企画庁というものは、業界を指導したり、政策の実施について各省庁に対する指令をしたりする
実は十年ほど前でございますが、昭和二十六年に当時の経済安定本部時代に、安定本部に置かれました資源調査会から安定本部の長官に対しまして水質汚濁防止に関する勧告書が当時出されておるわけでございます。この勧告の中で、わが国としまして初めて水質の標準と申しますか、公共水の許容限度を定めなさいというような勧告が出たわけでございます。
この点は、人事院が給与を担当いたします以前に、政府におきまして新給与実施本部時代におやりになっておりましたことをそのまま継承してここに書いておる。従いまして、この表は、端的には現在あまり直ちに役に立つという表ではないのではなかろうかというように思います。しかし、御指摘のように、過去においてこの表の適用を受けた者がおるではないかというお話は、これは十分わかるのであります。
それから二十番へ飛んでいただきましてこれは従来戦後経済史の記述篇という論文のようなものを出しておったのでありますが、明年度はさらに戦後の経済安定本部時代のなまのままの資料をそのまま印刷して出したい、かように考えてこの資料篇を一篇追加しております。
こういう点で、これも今までの官庁には、経済安定本部時代に、公共事業費につきまして一応認証制があったということがあるのでありますけれども、こういう科学技術全般にわたりましての予算の調整権を打った官庁というものは、これまた日本におきましては初めてでございます。
同時に、国土総合開発等も非常に従来の安定本部時代から見まして縮小されて参りましたが、その重要性にかんがみまして、やはりこの二つ部を分けまして、一方は六カ年計画に専念をしていただく、一方は総合開発等に専念をしていただく。そういたしませんと幹部職員の事務が非常にふえますので、そういう意味で部を二つに分けることにいたした次第であります。
次の戦後経済史編さん経費と申しますのは、これは安定本部時代のまあいわば経済施策史というものを、この際資料が逸散しないうちに作っておこうという経費であります。 以上はいずれも一般原則に従って前年度より減っております。 次に国富調査の経費でございますが、これは昭和十年以来、この国富調査というものは一ぺんも実施されていないのでありまして、本年から新たにこの仕事をやろう、こう考えておるのであります。
経済審議庁におきましては、特に事務の性質の重要性にかんがみまして、ことに従来の経済安定本部時代からきわめて縮小して来だというような事情も勘案いたしまして、定員三百九十五名のうち特に低率の、他の省に比べますときわめて低い率を考慮いたしまして、わずかに二十八名、これを、二十九、三十年の二年間において整理する。
○政府委員(佐々木義武君) 御承知のように経済安定本部時代には河川総合開発協議会等がございまして、何億かの予算を以てボーリングを打込んで、自分の手で調査したわけでありますが、只今におきましてはそういうことはございません。各省で調査しておりますのを統轄する程度でございます。
経済安定本部時代に実は石炭の増産の計画ができておるわけでございます。、それによりますというと、三十三年に五千六百万トンぐらい、三十四年に五千二百三十万トンぐらい出すということになつております。
○伊藤証人 日刊工業の増田さんという人とは、日本の工業を発達させるには工業新聞、こうした兵器関係の新聞にやつかいになることが多いというので、兵器本部時代から非常に親しくしておりました。そして、私が打明けて兵隊のものを預かつてくれというようなことを言えるところは、日刊工業の増田さんか、さもなければ民間では辻嘉六氏、この二人くらいのものであります。